コラム2023/05/13

年収の壁と労働市場のマーケットバリュー

連載記事の協力をしている講談社のWithclass様 サイトのテーマは「共働きをラクに豊かに」
毎回記事の担当者様と打ち合わせをして、読者様のためになる内容を制作しています。

今回のテーマは、「パートの壁”問題を深掘り! 「会社員夫の扶養妻」はこれからどうくのがベスト?」でした。いわゆる年収の壁です。働き方という観点でいえば、その人個人の考え方、環境、能力によるところなので、是非を問うことではないですが、この「年収の壁」という言葉はもはや都市伝説化しているのではと思います。

働いて年収がアップすると損をするという概念自身、とてもおかしな理解です。年収がアップして、社会保険料負担が発生したとしても、それに対するメリット(義務を負った先の利益)があるので、「損」と表現することが誤解のはじまりです。

特に社会保険というくくりの中で理解すると、保険料免除にはいくつかあって例えば会社員の出産育児にかかる期間は、いわゆる第3号被保険者の免除と条件は一緒です。保険料を支払わなくても、年金給付は払ったこととみなし、受給権を担保するっていう意味です。だいぶ遅かったのですが、第1号女性の産前産後の免除も同等です。こちらは期間が短すぎですけど・・・

一方重い障害を負って法定免除を受けている方は、保険料の免除を受けている期間に対する老齢年金の給付は、免除を受けていない人の半分のみです。この点でいえば第3号被保険者は免除期間における老齢年金の給付額は満額です。

こう考えると「健康でなおかつ働ける環境にいる方」で保険料が免除になる状態は、出産育児期間のみが妥当なのではないかと個人的には考えます。

また「少子化問題」の観点から言っても、今は共働き・共育てをスローガンに、働きやすい環境をみんなで作っていこう、またその財源は社会保険料あるいは税金か?と議論が続く中、「働ける」のに年収の壁を理由に就労調整をするというのも、逆行的な感覚にも思います。

ニュースなどでは、106万円ないし130万円を超えて働くかどうかは本人の意思のように報道されることが多いように思いますが、本来労働を提供する側であれば、雇い主がその人に「厚生年金保険料を負担するだけの価値」を見いだすかどうかの視点もあるのではないかと思います。非正規雇用の方が正社員として働きたいと頑張っていらっしゃる状況や、賃上げを切望する働く方たちは、自分の意思で月1万円の収入を上げるか下げるか決められません。

パートだから雇ってもらっているというのもあるのではないかと思うのです。雇う側も、パートだから社会保険料の負担もせずに働いてもらえる。パートだから時給分働いてもらえればいい。という中でいうと、年収の壁を超えるかどうかを語る人の背景によって全くその意味が異なってくるのではないでしょうか?

私個人は、家事をするのはひとりの生活者として当たり前のことだと思っています。子どもがいてワンオペであっても、これは個人の事情であって労働市場においては表だってハンディキャップとする問題ではないのではと考えています。それは、遠いところから職場に通うとか、介護が必要な親を抱えているとか、本人が病気がちだとかいろいろ状況は違いますが労働市場においては、そこはいったんならして考えるという意味です。

そこで、時間なのか成果なのか違いはいろいろあれど評価があり、労働の種類がありで、個々人が労働市場におけるマーケットバリューに見合った仕事を得て、対価を得るのがフェアなのではと思っています。

20代の頃、シンガポールで仕事をしていた時があります。採用および職場での指導という立場で仕事をしていました。そこで出会ったシンガポール人の女性、私より少し年長でしたが彼女が教えてくれました。

自分自身のマーケットバリューを高める努力をし続ける

間抜けな話ですが、私自身「評価される側」として「自分の価値」がどうなのかなど考えたことがなかったので、本当に雷に打たれたような気持ちになりました。

それでも、その時のショックはその後の私にとても大きな影響を与えてくれたのは事実です。その後は常に自分は市場からどう評価されているのか、その評価を高めるためには何が必要なのかを考えてきました。

もちろん「働く」とか「お金」以外の価値はたくさんあります。しかし人が生活を営むにあたり、経済的に自立することは最低限必要でそのために何をするのかというと、やはり働くは基本です。そして、その暮らしを維持するには、いかに働くの効率を高めるのかも必要です。

話を年収の壁に戻しますが、誰が作り出したのか分からないけどこの「見えない壁」に振り回されること自体がナンセンス。自分がいかに生きるかを考えれば、そこに壁なんてないはず。確かに電卓をたたくと、いくつかのポイントで第3号被保険者がいわゆる「得」する場面ってありますが、それでもだからといって国の制度に自分の人生を委ねること自身、残念なことだと思います。

選択肢として3号被保険者を選ぶはあり。
選択肢としてパート勤務を選ぶはあり。
でも同時に・・・

自分自身のマーケットバリューがどうなのか、希望するレベルの評価を得られているのか?
もし得られていないのであれば、なにが足りないのか?それを埋めるにはどうするべきか?

そういうことを考えるって必要なのではないでしょうか?
私は自分のマーケットバリューを高めるために今学んでいます。

マーケットバリューは、上昇するだけではなく、時間や環境で下降もします。むしろダウンサイドに向かう力の方が強いので、アップサイドに向かうには、かなりの力で押し返す必要があります。
だから、あがいています。